親も人の子、神様ではない
 人が親になると、おかしな、そして不幸なことが起こる。

 ひとつの役割を果たそう、役割を演じようとしはじめ、自分も人間であることを忘れて

しまうのだ。いよいよ親という神聖な世界に入ったのだから、『親』のマントをかぶらなくては

いけないと思う。そして親はこのように行動すべきだという自分の考えをもとに、ある特定

の行動をするように一生懸命努力する。

 ところがこの変身は、非常に大きな不幸の原因となる。

 というのは、親はこの変身によって、自分も弱点をもったふつうの人であり、感情を持った

生身の人間であるということを忘れてしまうことがあまりにも多いからだ。

親になったとたんに自分の人間臭い現実を忘れ、もはや人であることをやめてしまう。

そのときどきに感じることがなんであれ、一人の人間として自由に自分を表現することが

もはやできなくなってしまう。もう親なのだから、普通の人と同じではいけないというわけだ。

 こういう『人変じて親となった』親にとっては、親業の責任の大変な重圧がひとつひとつ

試練と感じられる。

 つねに一貫した感じかたをしなければならない、

 子供にはいつも思いやりを示さねばならない、

 無条件に子どもを受け入れ、寛大でなければならない、

 自分の欲求は傍に置いて、子供のためにひとまず抑えなければならない、

 いつも公平でなければならない、

 そしてなににもまして、 

 自分の親がした過ちは繰り返してはいけないと考える。

 この底にある気持ちは、よく理解できるし、むしろほめられるべきだが、親業がこれで

うまくいくかというと、ふつう、その逆になってしまう。

 親業をはじめて最初に犯す大きな過ちは、この、自分の人間性を忘れるところにある。

 親業をうまくやり遂げる親は、自分が本当の一人の人間であることをまず自分に許す。

(『親業』トマス・ゴードン著 近藤千恵訳 大和書房)

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